いろんな国のグループが出店し、それぞれの国の食べ物を売ったり、文化を紹介したりというお祭りが今年もロトルアで行われた。
去年はじまったこのグローバルフェスタ、去年も今年も日本のテントの運営を手伝った。
ロトルアインターナショナルスタジアムでの大きなイベント。
中央には、大きな舞台が作られ、そこで各国のグループがパフォーマンスを行う。
マオリのHAKAあり、ヒップホップあり、インドダンスあり、バグパイプあり。
ロトルアにある「Rotorua-Racco」(ロトルア楽鼓)という太鼓チームも出演した。
青空のもと響きわたる和太鼓の音は魂をゆさぶる。
去年はじめてこの和太鼓の音を聞いたとき、知らず知らずに涙が出てきた。
この太鼓を自分でも打ってみたい、この音とリズムにひたってみたい。
去年の11月のグローバルフェスタ終了後、私もロトルア楽鼓チームのメンバーとなった。
あれから、1年、またグローバルフェスタの舞台がやってきた。
晴れわたったスタジアムに和太鼓の音がこだました。
...ことであろう。
私は、楽しみにしていた、そしてひとつの区切りとして目標にしていたグローバルフェスタの舞台に立つことはできなかった。
金曜日の写楽は、朝から微熱がありぐずぐず言っていた。
この調子では夜は写楽をおいて家を出られそうにない。
申し訳ないが、金曜の夜にあるリハーサルは休ませてもらうことにした。、土曜日の本番には出場するつもりだった。
なんとしても出たかった。
自分の中でのひとくぎりをつけたかった。
これを区切りとして、当分、太鼓の練習には参加しないことにしようと思っていた。
しかし、夕方から、写楽の熱がどんどんあがっていった。
40度を越え、救急診療につれていく。
体をぬるま湯でふいても、解熱剤を飲ませても、熱が下がらない。
翌日の土曜の太鼓の舞台に出ることはあきらめた。
自分にとって大事なものは何か、優先にすべきことは何かは、考えるまでもなかった。
当日、日本テントの運営手伝いは、河童だけが行った。
あこがれのグローバルフェスタの舞台には立てなかった。
それもまた、「答え」なんだと思う。
太鼓のリズムと音の中に、どっぷりとつかる心地よさ、またいつか感じてみたい。もう少し写楽が大きくなって、母がずっとそばにいなくても平気になったら。
グローバルフェスタは、私にとって、抜けるような青空と風を思い出し、魂をゆすぶる太鼓の音を呼び起こす。
太鼓の練習を続けられなかった軽い罪悪感と悔しさからくるすっぱい気持ちとともに。
今、いったん練習から遠ざかることへの後悔はすまい。
夫と話し合って、自分で決めたことだ。
今度のグローバルフェスタ開催は、2010年だそうだ。
これからは2年に一度になるらしい。
2010年、私は舞台で太鼓をたたいているだろうか。
2012年はどうだろう。
いつか、写楽と一緒に舞台で和太鼓をたたいている日がくればいいな。
「嫌いになったわけじゃない、もっと大事なものを守らないといけないから。」
責任という言葉がのしかかる、まるでドラマの別れのシーン。
太鼓たたくの、結構好きだったんだなあといまさら思う。
下手だったけどね。
またね、またいつかね。
気持ちがあれば、縁があれば、またいつかはじめられる。
(写楽は、おとといぐらいにはようやく熱も下がり、今日から保育園に元気で行きよりました。)